趣味工房 → 皮革工芸・歴史散策・kadブログ


はじめに

 私は現在千葉県佐倉市在住している芦別出身者の一人です。終戦の年に

北海道芦別市で誕生して18年間過ごした町です。当時は終戦後間もない

時代でしたので生活も大変苦しい時代を過ごした場所が昔懐かしく思いだ

される様になり現在、趣味で楽しんで行っているホームページを活かして

懐かしい思い出のある北海道芦別市の紹介を思いつきサイトアップをしま

した。


Seriy Seriy

北海道芦別市ホームページ  →

在住地の町内会ホームページ →

芦別100年史


100年史

 100年の昔、最初の開拓者がおとづれたときここは果てしない原野だった。

たくさんの人々が長く険しい道程を歩いてここにやってきた。道が生まれ街が

でき人々の喧騒やざわめきが街を満たした時代は流れ、街は変わる。しかし変

わらないことは私たちが希望とともに生きてきたことであり私たち一人一人の

問いに時代を開く力があるということなのだ。

西暦 和暦 主な出来事
1893年 明治26年 山形県人佐藤伝治郎歌志内から班渓幌内川右岸に移住、
 芦別開発基の人となる(3月)
1894年 明治27年 浜口基一、石川県・福井県人をひいきいて下班渓に入地
常磐の沢口団体(4月)兜谷徳平富山県人の一団を率いて
下班渓45番地以南に入地し次郎島と命名(富山団体)
 (6月1日)
下班渓に私立簡易教育所設置、相河了瑞授業教師となり
 開始(10月5日)
1895年 明治28年 長浜善治郎下班渓において雑貨商を開業(芦別におけ)
 る商業の起源
1896年 明治29年 兜谷徳平、沢水を利用して水田を試作
1897年 明治30年 芦別獅子下芦別若連中により創設(4月1日)
滝川〜百戸間、赤平〜野花南間殖民道路開作
福住(次郎島)において班渓幌内炭鉱開鉱
1899年 明治32年 下芦別郵便局開設(9月1日)
1900年 明治33年 歌志内から分離、芦別村を設立
村性制施工
村医制度開始(6月1日)
芦別村農会を設置(8月)
北海道炭鉱鉄道会社上班渓御料地において枕木用材を伐採
1912年 明治45年 下芦別火防組合設立(12月19日)
1913年 大正2年 滝川〜下富良野間鉄道開通。下芦別・野花南・奔茂尻の
 各駅開業(12月19日)
1914年 大正3年 三菱鉱業出炭開始(この年の総出炭は1411トン(2月)
はじめて自転車と荷車を移入
1918年 大正7年 重原さと産婆業開業(4月11日)
下芦別市街に電灯つく。
野花南発電所完成(全国では初めてのダム式発電所)(8月)
1922年 大正11年 電話交換業開始(加入者56人)(3月21日)
1928年 昭和3年 下芦別市街大火、焼失戸数158戸被災者828人(4月11日)
1929年 昭和4年 サカエ自動車商会が芦別〜新庄間をバス運行開始
 (最初のバス交通機関)
1934年 昭和9年 帝室林野局上芦別駅から芦別川に沿って森林鉄道
 31.2キロメートルを敷設
芦別ゆり根生産組合設立
1938年 昭和13年 高根炭鉱開鉱(10月)
1939年 昭和14年 芦別警防団結成(4月1日)
三井芦別炭鉱第一抗開坑(7月)
1941年 昭和16年 町制施行(4月1日)
1944年 昭和19年 三井芦別炭鉱、頼成地区に第二抗を開発(4月)
明治鉱業株式会社開業(11月)
三菱鉱業株式会社幌内事業区香の沢ボーリング
 跡から湧き出る塩水を採取し、塩の製造行う。
三井芦別に労働組合結成。北海道の炭労の始まり
1947年 昭和22年 油谷炭鉱開鉱、三井黄金炭鉱開鉱(4月)
1949年 昭和24年 芦別婦人会「よい子の家」を経営(1月)
1950年 昭和25年 三笠宮殿下来町(2月22日)
協栄工業所黄金クローム及び砂金を採取(2月)
開町50周年記念式開催(6月1日)
日本鉱山株式会社新城地区において硅石採取
 事業開始。
1951年 昭和26年 芦別観光協会設立(10月5日)
西暦 和暦 主な出来事
1952年 昭和27年 渡部龍男選手登記オリンピック大会ジャンプ選手として
 参加(2月)
国鉄根室本線芦別〜平岸間の鉄道線路ダイナマイトで爆破
 される。(7月29月)
1953年 昭和28年 市制施行(4月1日)
天皇・皇后両陛下を芦別駅頭にて奉迎(8月18日)
一級子国道38号線のうち芦別市街の中心地帯230メートルを
 アスファルト舗装(8月)
三菱上芦別鉱業所バレー部員14名洞爺丸の沈没により
 死亡(9月)
1958年 昭和33年 芦別本町地区テレビ共同視聴施設完成(4月)
12月31日現在人口7万5652人(芦別で最高の人口)
1963年 昭和38年 明治鉱業上芦別炭鉱閉山(1月31日)
1964年 昭和39年 三菱鉱業芦別炭鉱閉山(2月)
西芦別駅前商店街大火33戸焼失(10月)
1965年 昭和40年 油谷炭鉱閉山(3月30日)
国設芦別スキー場開設(リフト、ロッジ完成)(12月)
1967年 昭和42年 高根炭鉱閉山(5月)
1968年 昭和43年 給食未実施8校解消し全市的に完全給食を実施(5月20日)
1970年 昭和45年 芦別レジャーランドオープン(7月17日)
乳牛500頭突破牛乳1000トン突破記念式(9月4日)
1972年 昭和47年 冬季札幌オリンピックスキー距離競技に新城出身
 大関時子出場(2月6日)
芦別温泉オープン(10月23日)
1973年 昭和48年 開基80周年記念事業として旭ヶ丘公園にタイム
 カプセル埋設(9月4日)
1974年 昭和49年 芦別海外研友会を設立(3月)
1975年 昭和50年 北海道文化放送・北海道テレビ放送の芦別テレビ
 中継所が完成(12月25日)
1977年 昭和52年 芦別工業団地が完成(11月)
1978年 昭和53年 農業用の野花南ダムが完成(10月18日)
1981年 昭和56年 国鉄石勝線の開業により根室本線の特急3往復急行
 2往復が廃止(10月1日)
1982年 昭和57年 駅前広場に歓迎用の五重の塔が完成(12月8日)
1984年 昭和59年 星の降る里の大規模観光開発構想案が決定される
 (10月26日)
「星の降る里・芦別」を宣言(12月1日)
1985年 昭和60年 星の降る里村民募集が開始される(6月1日)
1986年 昭和61年 滝里ダム建設に伴い滝里塀閉町(8月30日)
1987年 昭和62年 芦別市が環境庁から「星空の街」に認定される
 (12月9日)
1989年 平成元年 北の京芦別に北海道大観音像が完成し落慶海岸法要
 (11月3日)
芦別温泉スターライトホテルがオープン(11月22日)
1990年 平成2年 カナディアンワールドがグランドオープン(7月29日)
1991年 平成3年 芦別市国際交流協会設立(5月19日)
芦別市農協と京都生協が産直協定を締結(9月30日)
1992年 平成4年 三井芦別炭鉱が閉山(9月28日)
芦別ポンプ場で公共下水道の通水式(10月1日)
1993年 平成5年 カナダ・プリンス・エドワード島州のシャーロット
 タウン市と姉妹都市提携を調印(7月1日)
     


芦別の黎明

 

芦別の人類の歴史は、旧石器時代から

縄文時代に至る先史時代、アイヌ文化

の時代、開拓期以降の時代、に大きく

分けることができる。もちろんそれ以

前にはイルムゲップ・キリギンの山々

やアンモナイトの化石だけが太古の地

球の姿がある。紙で書かれた芦別の

記録はわずか百数十年前にさかのぼる

に過ぎないが、それ以前の芦別に歴史

が無かったわけでも暗黒の時代だった

わけでもない。私たちは芦別の地中に

眠る岩石や化石、さまざまな遺跡から

出土した遺物、現代に受け継がれたア

イヌ文化などを手がかりに、かっての

芦別の姿を推理することができるので

ある。出土した遺物、現代に受け継が

れたアイヌ文化などを手がかりに、か

っての芦別の姿を推理することができ

るのである。



アシベツの語源(アイヌ語)

 

 アシベツの語源には二つの説がある。

一つはアシュ・ベツ(切り立つ・川)

という説で川底が深く崖が切り立って

いる意味である。もう一つの説はハシ

ュ・ベツ(灌木の・川)という説で灌

木の中を流れる川という意味である。

ここでいう川とは、芦別岳に源流を発

する流程60qに及ぶ芦別川を示す。

その急峻な景観から考えると、アシュ

・ベツ設がいかにもふさわしく思える。



開拓の時代

 

単独移住者のほかに芦別にはさまざま

な団体移住者もやってきた。新しい入

植者たちは、すでに開拓を進めていた

同県人の家にいったん「わらじぬぎ」

をして土地を開墾し、独立していっ

た。当時の入植者の出身が圧倒的に

富山・石川に集中しているのもこの

団体入植者の影響でもある。もうひ

とつの開拓の方式は武市農場

(野花南)・京都植民協会農場(

上芦別)・中川農場(旭)など大規

模な貸下げ地に小作農を入れ、資本力

で開拓を進めようというものだったが

これは多くは成功しなかった。明治

33年(1900)芦別は歌志内から独立し

芦別村となり農業・林業・石炭産業を

3本の産業の柱として発展していく。



炭鉱の設備

 

 炭鉱の作業には坑道を作る掘進、

切羽と呼ばれる坑道の先端での採炭、

通気、排水、事故を未然に防ぐ保安、

採炭した源炭を選択する選炭などさ

まざまな仕事あり、その仕事の工程

を合理的に進めていく設備やシステム

が作られている。たとえば東洋一と言

われた三井芦別炭鉱の巨大な選炭場で

は水選機やコンベア・脱水機が一見複

雑に絡み合いながら効率よく稼働して

いた。通気おためのコンプレッサー。

縦横に走る坑道の心臓部とも言える

立坑に設置された大きな巻き上げ機。

また近年はコンピュータによるさまざ

な制御・管理、環境を守るための廃止

処理技術のも力がそそがれてきた。炭

鉱の設備のひとつひとつに安全と合理

化へのあくなき追求がおこなわれてき

たのである。



芦別のアイヌ語地名

 

 芦別のアイヌ文化を知る手がかりは

多いとは言えないが、そのひとつに芦

別地名がある。アシベツという市名を

含め私たちは多くのアイヌ語を起源と

する地名を使用してきた。その芦別の

地名を最初に記録に残したのは探検家

・松浦武四郎である。武四郎は安政

4年(1857)石狩探検の途上で空知川を

上り空知大滝に達している。武四郎

はこの探検行を「石狩日誌」に詳細に

記し、パンケホロナイやアシベツを

はじめとする多くの地名や空知大滝

の写生図を残している。



◆芦別のアイヌ語地名一覧

 ◇は、武四郎が先住民(アイヌ)から聞き取りを

  した支流の名。

石狩日誌の地名現在の場所意味
オホシュフ常磐深い、鮫の産卵場
ヲホトツハヲマナイ高根川深い、鮫の産卵場、のある、川
チホンヤハヲマナイ増田の沢舟、そこで、岸につく、川
ペンケイホロナイ辺渓幌内川上の、大きい、川
◇シヤマツケホロナイ盤ノ沢川(ずっと)、横になる、大きい、川
アシベツ芦別川立つ、川 または灌木の、川
◇シモマ(シユママクペツ)炭山川岩石の、奥にある、川
ヒラウトルヲマナイ天狗山の沢崖、の間、にいる、川
イカナン(イカナフ野花南仕掛け弓、のある所 または小さい川
ヲチンベオチノンベ川そこで、皮張る、ある、ところ
トツフエウシナイ矢野沢突起物、多くある、川
チベアケ奔茂尻発電所跡下流舟を、そこで、岸につけるところ
カムイコタン又はシュホロ空知大滝前神々(魔物)、の住むところ
カマソウ空知大滝平岩(水中の隠れ岩のある)、滝
キヨキコマナイソーキプオマナイ川滝、前頭部、そこにいる、川

相河了瑞渓簡易教育所/明治34年(1901)

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昭和28年(1953)の芦別駅前の通勤・通学風景

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◆平成5年(1993)の芦別駅前の通勤・通学風景

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昭和38年(1963)の上芦別大通り風景

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巨大な沈殿池。選炭は石炭を大量の水で洗うため洗炭とも呼ばれる。

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昭和20年代(1945〜)三井芦別一抗選炭機全貌

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三井芦別炭鉱の構内には立坑・選炭場・変電所などの設備がある。

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五重の塔 芦別駅前/昭和57年築。

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北海道大観音 平成元年(1989)北の京芦別が建立した観音像 高さ88メートル、26階建のビルに相当する。

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炭鉱の立坑

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「石狩日記」描かれた空知大滝のスケッチ

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イルムケップ山からの木材運搬

◆明治27年から大正14年までの移住者

 (出身県別の数値)    <除籍簿による>

順位出身者移住世帯数構成比
1富山県33840.63
2石川県809.62
3高知県789.38
4宮城県667.93
5福井県313.73
6秋田県232.77
7福島県212.53
8新潟県192.29
9鳥取県161.92
10京都府151.80
11青森県141.68
12山形県131.56
12三重県131.56
14愛知県111.32
14徳島県111.32
16岩手県101.20
17広島県91.08
18静岡県70.84
19和歌山県60.72
19香川県60.72
19大分県60.72
その他394.68

高等学校の統合経緯

統合経緯

 一番懐かしく思い出されるのはやはり高校時代ですが、時の変化で芦別に3高校存在した高校も統合

されて2高校消滅し芦別高等学校一校になってしまった。何となく自分が消滅したかのように寂しく感

じられます。当時を懐かしく思い学校の統合経緯を記憶に留めたくメモ情報として掲載しました。


【校章】

Seriy Seriy

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芦別啓南高等学校、芦別工業高等学校の統合経緯


 昭和32年4月開校 北海道芦別啓南高等学校

 昭和39年4月開校 北海道芦別工業高等学校

          【北海道芦別高等学校から編入】

 昭和43年4月開校 北海道芦別商業高等学校に

        校名変更【芦別啓南高等学校から変更】

 昭和63年4月閉校 北海道芦別工業高等学校

 昭和63年4月開校 北海道芦別総合技術高等学校に

        統合【北海道芦別商業高等学校と共に】

 平成01年3月閉校 北海道芦別商業高等学校

 平成18年3月閉校 北海道芦別総合技術高等学校

 平成18年4月   北海道芦別高等学校に統合


当時の北海道芦別総合技術高等学校

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現在の北海道芦別高等学校

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先住民族アイヌ

先住民族アイヌの生活

 和人の入植以前、芦別は先住民族アイヌの生活の場であった。大きなコタンがあった記録ないが、

多くのアイヌ語地名が、今も残されている。芦別がアイヌの人々の良い狩場だっことは旭川近文コ

タンの故・川村カ子トをはじめ多くの証言があるし、又は班渓簡易教育所を開いた相河了瑞は、

空知大滝でのアイヌのサケ・マス漁の様子を克明に語っている。自然と共に生きたアイヌ民族

の生活と文化は、私たちの大切な財産なのである。

シントコ →

 

お神酒を入れる杯、お神酒

はイクパスイ(杯箸)で神

に捧げられた。

Seriy Seriy

着物 →

 

様々なな樹皮の繊維で織ら

れ、アイヌ文様が刺繍され

た。オヒョウの繊維で織っ

たものをアットゥシ

(アツシ)と呼ぶ。

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トゥキ →

 

お神酒をいれる杯。お神酒

はイクパスイ(杯箸)で神に

捧げられた。

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タマサイ →

 

女性の儀式用の首飾り。

魔除けの役割も果たした。

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チタベラ →

 

様々な模様を織り込んだ

花ゴザ。

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エペレアイ →

 

花矢。動物の神送りのとき

に、神の国への贈り物とし

てつくられた。

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マキリ →

 

小刀。獲物の解体やイナウ

(木幣)削りなど様々に使わ

れた。

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サパウンペ →

 

男性が儀式のときにかぶっ

た。かぶる者を清めるとさ

れている。

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建物(越中造り)

建物(越中造り)

 越中造りは越中建とも呼ばれ、富山県からの移住者が母村の様式を持ち込んだので、北海道各地に

分散する。最初は富山から大工を呼んで建築していたが、後に大工が移住するななどして地元の技術

者となっていった。芦別では富山県・石川県などの出身者が大正から昭和初期にかけて越中造りで家

を建てることが多かったようだ。越中造りの特徴は、ワクノウチ造りと呼ばれる構造にある。家の中

心の広間(オイ)は高い天井に太い梁が渡された、柱間の幅の広い鴨居(ヒラモン)で結ぶなど、枠

を組んだ堅固な造りをしている。建築費も一般の住宅よりははるかに高額で当時の農家の好景気を伺

がわせる。

大正10年ころ築(黄金)の越中造り

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大正10年ころ築(黄金)の越中造り 梁

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大正10年ころ築(黄金)の越中造り 梁

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芦別の観光遊歩

三段滝 芦別の上流にあり、三段の階段状に流れ落ちている。奇岩と水の風景は涼味たっぷりで秋の紅葉も美しい。

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滝里湖/滝里ダム 雄大な風景の中で、知りたい心と遊び心が満たされる。楽しみ方いろいろの観光スポット

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空知大滝 かって朝鮮の志士・金玉均もこの地に遊んだという空知川の滝。

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市内田園風景 ドライブで、散策で。田園には、芦別の美しさが詰まっています

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